完璧主義がもたらす二つの大罪
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「完璧主義」という言葉があります。
これは物事を全て完璧にやり切りたいという気持ち、そしてそうでないと落ち着かないという感情などが複雑に入り混じったものです。
完璧主義というのは自分にも、他人にも全く良い影響を与えません
なぜ完璧主義が良いことにはならないのでしょうか?
完璧とはどの段階?
ここでいう「完璧」とはどの段階のことを言っているのでしょうか?
上司から資料の提出を求められたとします。完璧にすることにこだわって提出期限ギリギリに提出する…これは間違った行動です。
正しくは資料の途中段階で仮提出し、「この方向で合ってますか?」と中間報告をするのです。
間違っていればその時点で修正が可能なので取り返しも早くなります。
完璧主義の人はある意味「完璧に仕上がっていれば修正は入らない」という前提で作っているといえるでしょう。
ここでの大きな間違いは「完璧がベストではない!」ということです。あなたの「完璧」は本当に上司が求めている「ベスト解答」でしょうか?
それもわからないのに完璧にこだわっても全く意味がありません。方向性のすり合わせがちゃんとできてから完璧を目指すのが正解なのです。
また完璧主義にはもうひとつ弊害があります。
それは「自己満足を得にくい」ということです。
完璧主義者は常に「これでいいのだろうか?これでは不十分なのではないか?」と考えています。
吟味に吟味を重ねて選んだ解答、その時点ではベストだと思ってはいるが「やっぱり、あっちの方が良かったのでは?」という思いが出てきてしまい、満足できないのです。
これは優柔不断さにもつながります。
「カレーも食べたいけど親子丼もいいな…」
悩んだ末にカレーを選ぶが「やっぱり親子丼の方が良かったかも…」と考えてしまい、目の前のカレーの美味しさに満足感を得られないのです。
実際にカレーと親子丼を両方注文し、並べて食べてこそ、「こっちの方が美味しい!」と判断することができますが、そんなことはしないはずです。
つまり、その選択時点では「どちらを選んでも同じ結果になる」というのが答えです。
カレーを選べば親子丼が良かったと感じ、親子丼を選べばカレーが良かったと感じるのです。
このように、完璧主義者はシロクロはっきりしたいという感情が強いため、判断材料が少ない場面では非常に優柔不断になり、また選んだ結果にも満足をしないという問題があります。
完璧という言葉に惑わされないで!
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ここで言っている完璧主義とは「利己的な完璧主義」のことです。
完璧を目指すことがすべて悪いことではありません。ただし、完璧でなければならないということとはちょっと違います。
不完全さの中にも満足のいく部分は必ずあるはずです。その満足の部分を少しでも多くすることが正解であり、不満足をゼロにすることではないということです。
幸せというのは何もかもが完璧という意味ではない。不完全さのむこうにあるものを見ようと決意することなのです。 ヘレンケラー