若い頃にチヤホヤされたら、年をとると大体苦労するって話
photo credit: geckoam via photopin cc
先に書いておきます。あくまで僕の考えであり、そう感じることが僕の人生で多々あったので、書いています。
そんなことはないという人もいるかもしれませんが、そういう人はスルーしてください!
では、本題です。
チヤホヤされた人はその後良いことになってない…そんなことが僕の周りにはたくさんありました。
そんなことをちょっと記事にしてみます。
恵まれ過ぎてる!
チヤホヤされるとはどういうことか?
簡単に言うと、「満たされている」状態だと言えるでしょう!
可愛がってもらえた。
欲しいものは買ってもらえた。
みんなからは可愛い(かっこいい)と言われてきた。
ある程度は女(または男)にモテてきた。
こういう人に共通していることは「それが当たり前」になっているということです。本人が自覚しているかどうかはまったく関係なく、物事の基準がそこに固定されてしまっているのです。
これはある種仕方がないのかもしれません…だって満たされなかったことがないのですから。普段から1万円のお寿司を食べている人はそれが当然と思うように、普段から満たされている人はやはり「当然」と考えてしまうのです。
さて、そんな「満たされている」人が大人になっていくとどうなるか?
周りとの違いをたくさん経験していくと、「自分は満たされていたのか」と気付き、今までの自分の環境に感謝する人もいます。それはとても素晴らしいことです。
しかしそれとは逆に「みんながおかしいんじゃないの?そんなことも手に入らないの?」と傲慢になり、本当は充分であるにも関わらず、高い次元での「満たされている」という状態のため、ちよっとやそっとじゃ納得いかなくなってしまいます。
つまり、高望みをし始める。
- もっと良いものがあるはず。
- もっと私にあった仕事があるはず。
- もっと良い女(男)がいるはず。
そうやって目の前に現れたものには納得せずに、いつか出会うであろう「自分に最もふさわしい」ものをただ待ち続けるのです。
さらにこれが悪い風に進んでいくと、周りの人間を「下に見ている」ような心情に発展していきます。
自分にはまだなくて、自分よりも「下」と思っている人間が先に手に入れたら「なんであの人は手に入れたのに私にはないのか?」という思考になります。さらにそこから「こうなったらあの人よりも良いものを手に入れよう」ともっと高望みになっていく…そうして結局手に入らなくなってしまうのです。
チヤホヤされてない人はどうでしょうか?
基本的に満たされてなかったので、少しのことでも満足感を得るのが大きいです。
また自分を卑下して考えていることが多いので、「自分なんかがこれ以上のことを求めてはいけない」と遠慮がちでもあります。
ゆえに自分の求めているものを手に入れやすいのはこちらのタイプであると言えるでしょう。
どちらが正解か?
photo credit: pinkangelbabe via photopin cc
チヤホヤされた人は「自分にとっての当たり前」に感謝をする気持ちを持つことができれば、年を取ってからでもその魅力を存分に利用して人生を良くすることができるでしょう。
チヤホヤされなかった人は「自分に自信を持って」人に自分の考えや気持ちを言うようにすればこちらも人生を良くすることができるでしょう。
若い時はかっこよかった!
若い時はきれいだった!
こういう人は年をとった時のことを考えておいたほうが良いと思います。
僕?僕は全くモテなかったので大丈夫です!