ライフログ、やめます!って宣言しても染み付いた習慣はなかなか変えられない事実に直面してます
このブログでも何度も記事にしていますが、ライフログというものをゆるくではありますが実施しています。
睡眠時間や仕事の時間、プライベートでの過ごし方など細かにログを取り、見直すことで生活改善をしていこうというのが目的です。
ですが、最近そこまでしなくてもいいのでは?と感じているのです。
プライベートはある程度自由に!
僕は仕事ではToodledoとTogglを使ったワークログを残すようにしています。
これの大きな意味とは「タスクそれぞれにかかった時間を明確にする」という意味と、「この時間はこれをやる」という自分の行動をロックする意味との2つがあります。
タスクの実行時間を計測するのはその後同様のタスクが出てきた場合に時間の見積もりに役立ちます。
また、Togglを使ってタイムログを開始するにはタイマーのスイッチを押す必要があります。スイッチを押したからにはそのタスクをやろうと気持ちのスイッチも入りますし、そのタスクの実行時間だと宣言しているので他のことに気を奪われにくくなります。
仕事ではこのワークログの仕組みによってかなり効率的に作業ができていると感じています。
ですが、プライベートはどうでしょうか?
現在は「iライフログ」というEvernoteと連携できるライフログアプリを使っていますが、はっきり言ってプライベートのログを残すことに意味がほとんどないことに気づきました!
別に見直すこともないですし、ただ漫然とログを取っているだけ…無駄です。
せっかく取っているのなら活用すればいいじゃないか?と思いますよね?私もそう思います。
ただ、私は考えました。
何でもかんでもログを取るのではなく「見直す価値が高いもの」のログを取るのが良いのでは?と。
例えば睡眠時間。睡眠時間はしっかりとログを取ることで自分がベストのパフォーマンスを発揮できるのはどれくらい寝たか?が重要になります。
また読書や勉強時間なども同様にやった時間だけ成長につながります。
細かくライフログを取っている人は「歯磨きの時間」や「身支度の時間」などといったところまで記録していると思いますが、それらはそんなに見直す頻度は高くなく、また見直してもそこまで全体的に大きな成果には結びつかないと感じるのです。
いざやめるとなると…
ということでiライフログによるプライベート時間のログ取りはもうやめようと思います。
ですが、ライフログを取り続けて来て3年以上経っているので…やめにくい!
人は一度習慣化したら今度はやめるのが難しいみたいですね。
無駄になってると思っても…やめられないのです!
始めるときも覚悟し、やめるときもやはり覚悟がいるということです。