主張を履き違えてないか?そもそも主張する権利を持っているのか?
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「でもこうじゃないですか!」
そんなことを口に出す人って意外に多いです。また「私はそう思わない」という言葉も同じ意味ですね。
この言葉を使う人たちに聞きたいのは「そもそもその言葉を使う権利があるのか?」ということです。
主張することの大切さ
自己主張することの大切さは充分にわかります。それ自体は僕も賛成です。
とかく日本人は主張が少ないと欧米の方々からは言われますしね。
しかし主張ならいいのですが、反抗になっている人がいます。
反抗になっている人というのは、とにかく「そうではない!違う!」ということは訴えるのですが、「じゃあ、どうなの?」と聞くと回答を持っていないという人のことです。
最初に書いた通り、自分の考えをしっかりと伝える…つまり、主張なら問題ないのですが考えもなく抵抗感だけを全面に出す「反抗」という状態は嫌なことにただ駄々をこねている子供と同じです。
もう一段階上の話をしましょう。
今度は自分の考えをしっかりと持って主張してくる人を見てみましょう。
上の話では「主張は問題なし」と書いていたので良いことだと思うかもしれません。
だけど主張するには「それ相応の資格」が必要なのです。
例えばスポーツで考えてみましょう。僕はバスケ少年だったのでバスケの話に例えてみます。
バスケを今から始めるという人がいます。バスケの基本はドリブルですね。なので「まずは片手ずつでドリブル100回」と先輩から指示されたとします。
この時に「いや、この方法ではなく最初から走りながらのドリブルを練習したほうがいいと思います」と言ったとします。
これは「主張」という意味では「自分の考えをしっかりと持って伝えている」ので正解ですが、果たしてこの人にそんなことをいう資格があるでしょうか?
まずは言われたまま片手ずつでドリブル100回をやり終えて、その上で「やっぱり走ることがメインの競技だから走りながらのドリブル練習も必要だ!」と感じたのなら話は別です。
そうではなくやる前から「違う!」と主張するのは明らかに間違ってます。この行為はある種「不遜」であると僕は考えています。
先人の知恵を借りる想い
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そのやり方を先輩が指示するのは「そのやり方での成功体験」を持っているからであり、別に嫌がらせでやっているわけではありません。
バスケを始めたい!という想いに応えるために自分の持っている知識と技術からアドバイスする…そんなアドバイスを真摯に受け止めることをせずにすぐさま自己主張するのは先輩への尊敬の念が欠如したは行動だと言えるでしょう。
主張するにはそれ相応の資格がいる。そのことを考えられる人間は「口より先に身体が動いている」はずです。